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大専坊跡の大雨被害について
令和5年6月30日から7月1日にかけて降り続いた記録的な大雨の影響で、当宮の「大専坊跡」(県指定史跡)南側の石垣がその上の土塀とともに崩れました。
県の調査によると、高さ2.6~3.3m、幅約19.5mにわたって崩落。石垣の下の市道と空き地に大きな石と土が流れ込んでいますが、現在は被害が広がらないようにブルーシートで覆っています。
大専坊跡は当宮正面の大石段なかほど、上に向かって左手にあります。天満宮創建のころから明治維新まで、境内には社務を司る官職の詰め所として9つの社坊がありましたが、これらをまとめていたのが大専坊で、戦国時代には毛利元就が山口の大内氏を攻める際に本陣を置いたり、幕末には高杉晋作と来島又兵衛が激論をかわしたり、伊藤博文や野村望東尼や奇兵隊隊士なども訪れたとされる由緒ある場所です。築100年を超える建物は神事行事のほか会合でも活用されております。
ご参拝の皆様にはご迷惑ご心配をおかけして大変恐縮です。現在のところ、修復にかかる工期や予算などはまだ見通せませんが、山口県・防府市と共に令和9年斎行の「防府天満宮 菅原道真公御神忌1125年式年大祭」までには整えたいと考えております。無事に修復がかないますよう、皆様方のご支援ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
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